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菅谷蹈鞴(たたら) 高殿 [四季 秋]

170年間、たたら製鉄が行われていた「高殿(たかどの)」内部。壁には耐熱性を高めるため、土が塗られてたのだそうです。天井は放熱のため隙間が空けられ、さらに開閉が出来るように作られたうえに、屋根上に大きな樽を置いて水を満たし、火事に備えて操業していたのだとか。
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コメント 4

mag

ほ~~~~~ 今でも純粋な日本刀を作るために、日本国は蹈鞴製鉄している話を昔TVで見たことがありますが、うろおぼえなので調べてみました http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%8B%BC 玉鋼は日立金属が受託製造しているんですね~~~~ こういう、家屋で神代の時代がから同じ作業をしていたなんてロマンですね~~~
by mag (2009-11-07 00:27) 

まさお

magさん 玉鋼だけは、どうあっても「育ちより氏」なんだそうで、現在産出される鋼でどんな名工が刀を打っても、昔(鎌倉期以前)の刀には 敵わないんだそうです。 いまは、日刀保の蹈鞴操業を、安来工場でフォローしている関係なんでしょうか。昭和44年(1969年)に、蹈鞴の指揮者(村下:むらげ) が集まり、以前の記憶のもと、蹈鞴を一から作り、操業した記録映画を見せて貰いましたが、そりゃスゴいもんです。その再現の時 には、全国の製鉄会社から技術者が馳せ参じたとのことでしたが、そりゃそうでしょうね。
by まさお (2009-11-07 18:44) 

mag

まさおさんへ 日本美術も同じかも 近世に近づくほど根性が曖昧で、鎌倉以前のものに勝てなさそう 祈りにも似た作者の思いが古代から中世はあったのかもしれませんね きっと近世以後の作者は、美術品が生活の糧に見えたのかも
by mag (2009-11-07 20:26) 

まさお

magさん 喩えは良くないのかもしれませんが、ローマ時代の石像彫刻、紀元前とかと4世紀以降の物を比べると、前者が圧倒的に出来が良いわけですよね。 そりゃいったいなんでやねん! って思うわけですが、σ(^_^)が思うに、「社会的に安定してた時代のもの」が、いろんな意味で (汎用的な)アドバンテージがあるのだと思うのです。 σ(^_^)は美術がどうこうなんて言えるほどの目もなにもありませんが、作品からすれば、室町以降、江戸期まで中抜けになっている のは事実です。が、、翻って考えると、σ(^_^)らの美意識の基礎は、その時期にこそ源流があると思うんですが、どんなもんでしょう^^
by まさお (2009-11-07 23:59) 

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