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菅谷蹈鞴(たたら) 高殿 [四季 秋]

左手の構造物が、砂鉄と木炭を交互に積み重ね、鉄を沸かした釜。右は釜に空気を送り込む部分です。恐るべきは、この釜の床下。炉を築くにあたって、地面を6m以上掘り下げ、そこに排水設備を施し、穴の中で木や炭を3ヶ月もかけて焼き、灰を叩き締めた上に、炉を作っています。
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コメント 6

mag

は~~~~~~~~~ 凄まじい程の力で玉鋼は作られていたんですね~~~~
by mag (2009-11-08 00:01) 

まさお

magさん 機械(パワーショベルやダンプカー)使っても、炉を作るまでに3ヶ月かかったってんですから、ハンパないですな(^^; もっとも、それ以外は全部人力でやってました。スゴイこってす。
by まさお (2009-11-08 00:09) 

轟天改

まさおさんの踏鞴シリーズで思い出しましたが、今のJR京都駅ができた頃、兵庫県宍粟郡(当時)千種町でたたらの学習館(だったかな)の立ち上げをやったことがありました。(今で言う箱物行政のお陰で) 出雲から日本海側の山陰地方は良質の砂鉄が取れたのか、踏鞴跡が点在していますね。 お土産は日本刀ですか(笑)
by 轟天改 (2009-11-08 03:00) 

まさお

轟天さん 純鉄(混ざり物のない鉄)の砂鉄は、雲伯の山にたくさんあったのでしょうね。(余談ですが、純鉄ってのは錆びないんですよ。砂鉄の山が屋外に展示してありましたが、真っ黒でぜんぜん錆なんかありませんでした) 製鉄の技術をもった人達は、当然半島から渡ってきたでしょうし、「ここに良い鉄がある」ってんで集まっても来たのでしょう。なんせ近いですから。んで、そういった製鉄をする連中と、稲作をしてる連中は利害がぶつかり合うわけで、「スサノオノミコトの八岐大蛇退治」ってのは、そういう背景があるということなんでしょう。 お土産は「八千矛」っていう、日本酒でした(^o^;)
by まさお (2009-11-08 16:24) 

mag

「八千矛」 ? かすかに塩っけのあるお酒? 関東地方は農耕の為か、小規模蹈鞴が埼玉秩父地方、群馬赤城山中腹に無数に発掘されるとか 武器よりも鍬鋤の製造が主だったらしいですよ 西日本は祭事に鉄 東日本は農耕の道具に鉄だったかも~~~~
by mag (2009-11-08 20:39) 

まさお

magさん 塩味・・・は、感じませんでしたね、スゴく重い「どっしり」お酒でしたが(^^) 日本中あちこちに蹈鞴はあったんでしょうね。要は「製品の品質」の問題でしょう。吉田(高殿のある場所)で出来た鉄は、品質によって4ランクくらいに分別されて、全国に販売(輸送するための千石船を四杯持っていたと言いますから)されたとのことでしたよ^^
by まさお (2009-11-09 10:48) 

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